【カーネリア】 最終巻


最終回 《帝 国 時 報》《インペリアル・クロニクル》・U

 白い世界に飲み込まれた僕は、固い地面の上へと吐
き出され、転げ落ちた。
 陽の匂いのする温かな大地。天国の床は、まるで敷
石のような手触りだ。手で周囲を探ると、ごわついた
髪の毛が触れた。シスターも僕と一緒に「女神行き」
になったらしい。腹の底から熱いものがこみ上げてき
て、僕は大の字になり、体を休めた。
 周囲がざわめき始めたのはそのときだ。誰かが僕の
顔を覗き込んでいるようだった。目が慣れると、少女
の顔だと分かる。にっこり微笑む女の子。女神にして
は、いくらなんでも若すぎる。
 と、頭上で鐘の音が鳴り響いた。それはまるで聖堂
の時鐘のように聞こえた。不思議に思って僕は体を起
こし、ようやく夢から覚めた。
 ハトのように気ぜわしく辺りを見回す僕の上に、野
次馬たちの視線が集まった。見慣れた町並み、物音、
風の匂い。間違えようもない。そこは帝都の聖堂前広
場だった。
 僕は右手の指を開き、ミヒュトから預かったあの金
属塊を見つめた。金色の光の筋が、《アーティファク
ト》の表面に渦巻いていた。シスターが言った「生き
てる」という言葉を思い出し、次第に弱まっていくそ
の古代の耀きを、また握り締めた。
 肩を貸し合って聖堂へ向かう僕らのことを、色ガラ
スの翼を広げた女神が、黙って見つめていた。
 
 その後の出来事は、整然と処理されていった。
 シスターが血まみれになって守った金属塊は、聖堂
で待ち構えていた枢機卿猊下の手に渡り、分厚いドア
の向こうへ消えた。皇室関係者に有力貴族の名代ら、
そして帝国軍の将校が、延々と汚い駆け引きを繰り広
げ、遊撃士協会の調停役を呆れさせた。
 僕はシスター・カーネリアのそばにいた。教会の長
椅子に横たえられた彼女。本物のシスターたちがコー
トを剥ぎ取り、血で貼りついた上着を切り開く。する
とその下からさらに鎖かたびらが現れて、彼女たちを
困惑させる。
 翌日、《猟兵団》を動かしていた某貴族は荘園を見
返りに手を打つことに同意し、ようやく《アーティフ
ァクト》は教会の管理下に入った。そしてバッグ一杯
の口封じを押し付けられた僕は、すぐに共和国へと旅
立った。行き先は有名な高級保養地。体のいい厄介払
いだった。護衛に付いてくれた遊撃士はあのパヴェル
とクレイで、出発の直前、2人は何も言わず僕をシス
ターのところへ案内してくれた。
 目を覚ましていたシスターと、少しだけ話した。別
れ際、彼女は手を差し出した。
「アインよ。あたし、アインっていうの」僕は彼女の
真っ白な、けがれのない手を握り締めた。
 
 それから3年が過ぎた今日――
 僕は《帝国時報》の誌上で、彼女の名を目にしてい
る。「アイン・セルナート」――その活字の先には、
きわめて簡潔な記事が、こう続いていた。
『昨日未明、帝都市街にて変死体として発見。
 遺体には複数の外傷――故人は生前、七耀教会の
 慈善事業に参加し、各地で多くの人々を救った。』
 最後の1行を読んだとき、路上に横たわるシスター
の姿が頭に浮かんだ。血に染まったその寝顔は、ひど
く安らかで、笑みさえ浮かべている。
 僕は雑誌を固く丸め、胸に光る遊撃士の紋章にそっ
と触れた。シスターが薦めてくれたこの商売に乗り換
えて、もうまもなく2年が経つ。ようやく本名を使う
ことにもなれてきた。
「トビー」耳元でシスターのささやきがよみがえる。
もうトビーですらない僕は、冷たく曇った車窓に額を
つける。記憶の中のシスターの瞳は煌く紅耀石のよう
だ。コートの裾をなびかせ、闇の中へ駆け出す彼女。
目を開き、僕は窓の外を眺める。帝都の灯りが紅くに
じんで、白い霧の彼方へと、消えていった。 〈了〉