【カーネリア】 9巻


第9回 カーネリア

 切れかけた導力灯の明滅が、汚水の波面に細い光を
走らせていた。その前を、風音を残してシスターが駆
け抜ける。足先から彼方の闇へ、斜めに遠ざかってい
く彼女の影を追い、僕は息を切らして足を動かし続け
る。
 七耀教会の聖堂めざし、僕とシスターは休むことな
く苔むした石畳の上を走っていた。鉄道の駅から聖堂
まで、地上の街路を行けば3街区ほどの距離だ。水位
調整用の水門の先から排水溝を上れば、聖堂前の広場
に出られる。
 遠くにまた導力灯の光が見えてくる。シスターは首
をこちらに向けて、大きく右手を横に伸ばし、次の角
で右折だと教えてくれる。そのまま彼女は、何かに備
えるように両肩をぐるぐると回した。シスター・カー
ネリアには、この先の出来事が見えていたのかも知れ
ない。
 またたく照明の下、カーネリアの体が角の向こうへ
と消える。1つ、2つ、3つ。続けさまに鈍い衝突音
がして、何かが水中に転げ落ちる。角を曲がった僕の
目に飛び込んできたのは、奇妙な姿勢で横たわる2人
の男で、思わず道の端へと身をかわす。数歩先を行く
シスターは、何事もなかったように相変わらずの歩幅
で走り続けている。
「カーネリアだ!」
 背後からの怒声に僕は振り向いた。1人の男が、角
の死体のそばに這いつくばったまま、血の色をした口
を開けて叫んでいた。
「カーネリアがいるぞ!」
 シスターは振り返ろうとしなかった。顔を前に向け
ると、僕もそれに従った。
 水門までまっすぐに続く水路が、四角い闇となって
待ち受けていた。ずいぶんバテて来た僕に、カーネリ
アは歩調を合わせてくれる。
「連中、かなり本腰を入れてるみたい」彼女は宙の一
点を見据えたまま言った。
「さっきのは、昔の仲間?」
 カーネリアは僕に赤茶色の瞳を向けた。
「遊撃士から聞いたの?」僕はうなずき、もうそれ以
上は聞かなかった。導力灯の明かりの中で動く自分の
足の影を見つめながら、ひたすら前へと体を進めた。
「宿屋でやりあった女のこと、覚えてる?」
 不意にシスターが口を開いた。
「あたしが傭兵を辞めたのは、
 あんな風に死にたくなかったからよ」
 僕はカーネリアの横顔を見上げた。「あんな風に、
消えてなくなるんじゃなくて」そうシスターは繰り返
し、「どうせ死ぬなら何かのために戦って、生きた証
しを立てて、それから死ぬの」
 得体の知れない危うさを感じながら、僕は彼女の横
を走り続けた。ふと自分の呼吸の合間に、かすかな水
音を聞いた気がして、後ろを振り返った。
「トビー、あんたも気づいた?」シスターはゆっくり
歩をゆるめ、やがて立ち止まる。
「後ろから、連中の後詰めが来てるのよ」
 2つの水路が十字にぶつかる交差点に、僕らはたど
り着いた。悪臭を放つ幅の広い水流の向こうに、薄暗
く照らされた水門が見える。湿ったレンガの壁に背を
つけ、僕はしばらく息を整えた。
「たぶん、待ち伏せされてるわ」シスターは対岸をに
らみ、それから背後へ顔を向けた。「でも、迂回して
る時間はないわね」2度3度と、彼女は鋭い音を立て
て深く呼吸する。僕は汗ばむ手で導力器を手に取り、
バッグの持ち手を手首に手繰る。いつものように靴を
確かめ、シスターが体を起こす。
 粘りつくような闇色の流れの中へと、僕らは息を止
めて一気に駆け込んでいった。