『実録・百日戦役』

<開戦>
 七耀暦1192年春、一発の砲弾がリベール王国の
北部に位置するハーケン門を揺るがした。後に『百日
戦役』と呼ばれる侵略戦争の始まりであり、猛き黄金
の軍馬が白き隼に襲いかかった瞬間であった。
 当時のハーケン門は、中世の城壁を補強しただけの
ものでしかなく、帝国ラインフォルト社製の導力戦車
から放たれた導力弾は易々と城壁の一部を粉砕した。
そして王国の防壁は、続けざまに浴びせられた砲弾の
雨によって瓦礫の山と化したのである。

<宣戦布告>
 実は最初の砲弾とほぼ同時に、王都グランセルにあ
る帝国大使館から、一通の書状がグランセル城のアリ
シア女王の元に届けられていた。すなわちエレボニア
帝国によるリベール王国への宣戦布告文書である。
 外交通念からすると、宣戦布告の正当性は「先制攻
撃前に行う」ことで確立されるが、この場合の時間差
は瞬きをする程度のものしかない。つまり砲弾発射と
同時に宣戦布告を行い、その着弾をもって先制攻撃と
するという巧妙な正当化が行われたのである。それは
導力通信を利用した綿密な連携なくしては成立しえな
い新たな外交戦術ともいえた。

<電撃作戦>
 ハーケン門を文字通り粉砕した帝国軍は、そのまま
リベール領土の侵略を開始した。総兵力13個師団。
これは全帝国軍の半数近くにして、王国軍の3倍近い
規模に及ぶ大兵団である。
 開戦からわずか1ヶ月で、帝国軍はグランセル地方
とヴァレリア湖上のレイストン要塞を除く全王国領土
を占領する。王国の親しい隣人で、帝国と長年に渡っ
て対立してきたカルバード共和国も、迅速極まる電撃
作戦の前に援軍を派遣する機会を逸してしまう。
 そして帝国軍は、ツァイス中央工房やマルガ鉱山を
接収しつつ、王都の女王に降伏を迫るのであった。

<反攻作戦>
 開戦から2ヶ月後、誰もが予想しなかった形で戦局
が変化することになる。3隻の軍用警備艇がレイスト
ン要塞内で開発され、宿将モルガン将軍の指揮の元、
大規模な反攻作戦が実行されたのである。
 戦車をはるかに上回る重装甲と、高性能の導力兵器
を大量に搭載しながら、時速1800セルジュもの機
動性を実現した警備艇──これを使って精鋭中の精鋭
と謳われた独立機動部隊が地方間を結ぶ関所を奪還し
た。そして王国軍の総兵力がレイストン要塞から水上
艇で出撃し、各地方で孤立した帝国軍師団を各個撃破
したのである。

<終戦>
 開戦から3ヶ月後、各地で抵抗を続けていた帝国軍
師団の大部分は降伏した。帝国本土から更なる増援の
動きも見られたが、ここに至ってカルバード共和国を
中心に大陸諸国がこぞって帝国への非難声明を出し、
援軍派遣の動きが具体化していった。そんな中、七耀
教会と遊撃士協会が協同で停戦を呼びかけ、開戦から
およそ百日ほどで戦争は終結した。
 翌1193年、王都郊外のエルベ離宮でリベール=
エレボニア間の講和条約が結ばれた。賠償金は支払わ
れなかったが、「不幸な誤解から生じた過ち」という
表現で、帝国政府から正式な謝罪声明が出された。