<囲碁発陽論 劫部第29図について>


『囲碁発陽論』は、古来より難解な詰碁集として知られ、その難度と深遠さから、別名「不断桜(ふだんざくら)」とも呼ばれてきた。これは、一年を通して花を絶やさぬ桜になぞらえ、常に学ぶ者に新たな見識をもたらすことを意味している。
碁盤中央での攻防も多く、石の存在しない場所にまで深く読み進めなければならない難問が多いのが特徴。その難解さから、今日においてもプロ棋士を志す者にとって必読の書とされている。

本稿では、『発陽論』中の劫部第29図に関して、新しい見解が出現したので、それについて解説する。


【前題】

『発陽論』は、江戸時代中期の1713年(正徳3年)に、当時の名人碁所・四世井上因碩(道節)によって完成されたと伝えられる。もとは井上家の門弟に対し、高段を許された際にのみ伝授される「奥伝」として秘蔵され、門外不出の書とされた。原本はその後の火災により焼失したが、幸いにもいくつかの写本が現存している。

長らく、版本としては大正3年(1914年)12月、十五世井上因碩(田淵米蔵)が二十一世本因坊秀哉とともに校訂したものが最初と考えられていた。ところが戦後、荒木直躬氏により、正徳三年八月十四日付のもの(正本?)が偶然発見されたことで、従来の成立史観に修正が加えられた。
この発見は、失題が幾つかあると指摘されてきた問題が伝写過程での誤記などによることを明らかにして、原典の正確な姿を再構成する上で大きな意義を持つものであった。荒木氏によって発見された『発陽論』は現在、成田山仏教図書館に所蔵されており、合同会社イフウより限定復刻版として刊行されている。
(https://ifuu.info/ifuu-products/igo-hatsuyouron-reiwa/)

1906年、安藤如意が伊藤松和門下の伝を得て筆写したものを本因坊秀哉が入手し、十五世井上因碩所蔵本と照合のうえ、時事新報紙上に掲載した。
この内容は1914年、秀哉および因碩両名の解説を付して『囲碁珍瓏発陽論』として刊行され、これが一般に流布する最初の形態となった。現在、同書は国立国会図書館デジタルコレクションに収録され、自由に閲覧可能である。
(https://dl.ndl.go.jp/pid/1183163/1/1)




【本題】


  【1図】

今回取り上げるのは秀哉監修本で『劫の部』の第29図とされている図である。
荒木氏によって発見された『発陽論』では『生図』つまり活きの部に収録され、「白先劫生」と書かれている。
(注)秀哉監修本と荒木氏によって発見された『発陽論』では白黒が逆になっている




  【2図】

これまでの解説では、⿊9に⽩10と受けて⿊15までコウになる。⿊には右辺にそばコウがあるので⽩は勝てず、⿊コウ活きと言われてきた。




  【3図】            【4図】

2021年に、桑本晋平七段が⿊9のとき⽩10と下がる変化を検討(3図のAからの変化)したところ、4図のように、これもコウになると結論づけている。
(https://www.youtube.com/watch?v=uNDtvtYwmrA&t=31s)
(https://blog.goo.ne.jp/ifukai/e/33483fb98f54cdd5b8fe52b4965c4f39)
3図⿊Bは⽩S15受けから⽩活き、⿊死となる。
4図の⽩22で23のところへ下がるのは⿊22から両ウッテガエシをみて⿊に眼が出来る。


しかし、同じように⽩の取り番のコウという結果が2つあることは詰碁としての価値を落とす。



  【5図】

そう思われてきたが、このたび浅井建氏が3図のCと切る手を発見した。これは⿊の取り番のコウとなる。

⽩20で隅のS19とすれば⿊21アテから⿊に眼が出来る。




  【6図】

⿊11に⽩12とこちらのアテは⿊13の妙手で⽩が落ちるので5図のようにコウにするしかない。


これらの変化を桑本七段にコメントしたところ、YouTubeで解説していただいた。
https://www.youtube.com/watch?v=0xu6ON6u0yU&t=1s




【結論】


正解図とされる2図と⽩10の変化の4図は⽩の取り番のコウであるのに対し、5図は⿊の取り番となる。つまり⽩10の変化は⽩の不利なコウとなるので⽩はこの変化を選ばず、2図のコウを正解としたものと思われる。
これまで⽩10の下がりに言及した書が無かったのは、浅井氏の発見した⿊11で⽩が不利なコウとなることにより、書面のスペースの関係もあり、この変化図が割愛されたと思われる。



図は本因坊秀哉監修の『囲碁珍朧発陽論』



事ほどさように、発陽論の解説には言及されなかった変化図が無数に埋もれている。
発陽論がまだ完全解読されていないと言われるのは、上記のような変化が無数にあり、おおやけにされていないからである。
解答を残さなかった井上因碩道節がどのような変化図を思い描いていたのか実に興味深い。



2025/11/13 文責:江場弘樹






home page
ホームページへ戻る