チョボ一(ちょぼいち)

1、チョボ一の歴史
 チョボ一は樗蒲(ちょぼ)打ちが語源とする説がある。樗蒲の語は天平勝宝六年の官符にも見いだされ、古くから博打の総称として用いられた。  江戸時代中期、寛政の頃、江戸の文筆家の書に「博奕は天下のご禁制なるに、年毎の霜月酉の日は大鳥大明神の御祭礼とて千住浅草両所の社頭や其の路々所せくまで敷物をしき筵をはり、丁半樗蒲一(チョボいち)などと云う博奕の場所一里あまりも建連ぬ。」とある。この頃にはすでに博打を生業とするものも多く輩出し、世間も『博奕知らぬ者は野暮という』と、博打をやらない者を馬鹿にしたそうである。

2、道具
 1個のサイコロと中を六つに区切られた紙または布があればよい。または地面に直接四角を描いて、その中を六等分してもかまわない。六等分された各区画には1から6までの数字を書いておく。

3、基本のルール
 まず親(胴)を決める。親は廻り胴が基本である。次に子は1から6までの数字が書かれた部分に賭け金を置く。金額の制約は賭場のルールによる。一般的には親が受けられる金額以上には張れない。全員が賭け終わったら親がサイコロを振る。振るのは地面でも茶碗でもなんでもかまわない。
 サイコロの出た目に賭けた者が勝者で、通常4倍の配当をもらう。配当の倍率は賭場によってさまざまであり、また出目によって敗者に一定額(賭け金の数%)を返金するなどのルールもある。テラ銭は親が勝ったときは一割、子が勝ったとき五分が原則であった。

 チョボ一と類似の博打は数多い。江戸後期に流行した「お花独楽」は独楽(コマ)の周囲が六面に区切ってあって、それぞれの面には芝居の登場人物の、お花、半七、お菊、幸助、おはつ、徳兵衛の名前を記し、別の賭け紙に同じ名前を記してその箇所に賭けるもので、当たれば四文が十六文になったという。