『詰キストのための詰碁入門』  塚本惠一著

この論考は、詰将棋メーリングリストの「詰めマガ」に塚本惠一さんが書かれたものです。
詰めマガを主催されている、看寿賞作家の近藤真一さんと塚本惠一さんのご好意により、ここに転載させていただきました。



1.はじめに
 こんさんから「詰碁と詰将棋」をテーマに書いて欲しい、と言われて考えていました。詰碁の方では作家と呼ばれている私ですが、詰将棋は未だ駆け出しで、両者の比較を書くには任が重い感があります。詰めマガなら詰将棋愛好家の皆さんが読むことを前提に詰碁の紹介を書くのが良さそうだと思うようになり筆を取りました。「入門」というタイトルですがテクニックなどには触れておりませんので御了承下さい。

2.超短い囲碁入門
2.1 盤石、地、交互着手
囲碁は19×19の盤に白黒の石を並べて「地」の多少を争うゲームです。囲碁の場合、石は枡の中でなく交点に打ちます。置いた石は動きません。
 19×19の盤(19路盤)では一局に200手くらいかかるので入門者には9×9の盤(9路盤)を使わせることもあります。先手は黒石、後手は白石を用います。先手と後手は交互に1石ずつ置きます。石を置くことを「打つ」と称します。「将棋指し」に対して「碁打ち」という所以です。

 1図
左図は9路盤での終盤の例です。黒石は右上と左下を囲っています。これを黒の「地」といいます。右上で囲った空点が12個で、黒地12目と数えます。左下は黒地10目です。白石は左上と右下を囲っています。これが白の地で、左上が白地5目、右下が白地11目です。全体で黒地が22目、白地が16目です。
 この後は黒も白も地が増えたり減ったりしないので、この碁は黒の6目勝になります。

2.2 石取り
 実際には1図のような単純な囲い合いになることは滅多になく、相手の囲いを妨げようとして黒石と白石が接触しての「戦い」になります。そういうとき相手の石の周りの空点の全てを囲めば相手の石を取りあげることができます。
 2図
 3図
 4図

 2図では白石の周りの3箇所に黒石があるので3図の★に打てば白石を取ることができます。取った白石は盤上から取り除いて4図になります。
 取った石を「ハマ」と称します。ハマは1目の地として扱います。2図のように次に取れる状態を「アタリ」と称します。

 5図
 6図
 7図

 5図の場合は白番でもアタリの1目を助けることはできません。6図の白石も逃げ道がないのでやはり助かりません。
 7図になると事情が違ってきます。黒から白石を取ろうとすると2つの空点に石を置いて行く必要があります。けれども、どちらの空点に打ってもそれは白石に周りの空点の全てを囲まれた取られる石になるので、続けて両方の空点に打つことはできません。
 日本囲碁規約では取られる石の着手は禁止されていますが、個人的には「打てるが相手の番で取られる」方が望ましいと思っています。
 この事情で7図の白は取られることがない石群です。こういう状態を「活」と称します。6図の白石の状態は「死」と称します。7図の白石で囲んだ空点を「眼」と称します。眼が二つできる形が活き石の例です。


 8図
 9図
 10図
 11図

 8図の白は活きていますが(お確かめ下さい)、9図の白は死んでいます。
 黒から10図の◆に打っていけば白は☆に打って3目取るしかなく、そこで11図の★に打てば白は2眼を作ることができなくなるからです。
 11図の★を「中手」と称します。中手が約束されている9図の状態も同様に「中手」と称します。白の囲みの中の黒石が3つなので「三目中手」と称します。中手には三目、集四、花四、五目、花五、花六、隅の曲がり四の7種が知られています。

2.3 劫(同一局面の禁止)
 2.1と2.2の取り決めだけで争うゲームを「ポン抜き碁」と称し、入門者に囲碁を教える教材としています。この「ポン抜き碁」で石の取り方や地の囲い方を覚えられるのですが、ゲームとしては困った事態が生じることがあります。

 12図
 13図
 14図

 12図で黒番なら、◇がアタリなので、その右に打って1目取る手が有力です。取った形が13図ですが、今度は白番で◆がアタリです。白も1目取ると14図になりますが、これは12図と同形です。こうして取ったり取られたりを繰り返しては勝負がつきません。
 この12図の形を「劫」(こう)と称して、劫については「取られた直後には取りかえせない」ことをルールとしています。ハマを除いた同一局面の再現の禁止です。
 劫を取られたときに他に打つ手段のうち、相手に受けさせて劫を取り返す目的のものを「劫立て」と称します。

 劫に限らず同一局面に帰する形はいくつかありますが、それらは実戦に生じることが稀なので劫以外で同一局面が再現する場合は「無勝負」として打ち直す慣例です。

 15図 循環劫 黒番
 16図 手順
 17図 つづき

 15図で白番なら16図の2の所に打って黒を取れます。黒番では16図の黒1が手筋で、白が3の所に取れば黒*の所で白を取れます。黒1に対して白2が巧い返し技です。黒3白4が必然で15図とそっくりの17図になります。17図でも黒5白6黒7白8と打つしかなくて15図に戻ってしまいます。
 これを「循環劫」と称します。黒も白も譲らなければ無勝負です。このような同一局面が再現する形に「三劫」や「長生」(ちょうせい)と称されるものもあります。日本囲碁規約ではそれらを無勝負としていますが、個人的には劫と同じ扱いが望ましいと思っています。

3.詰碁の種類
詰碁は囲んだ石を取れるか否かのパズルです。「取れますか?」というのが「殺し」の詰碁で「助かりますか?」というのが「凌ぎ」の詰碁です。
 殺しの詰碁でも凌ぎの詰碁でも結果が劫になるものもあります。従って殺しの詰碁の結果は「黒先白死」「黒先劫」「白先黒死」「白先劫」のいずれかになります。同様に凌ぎの詰碁の結果は「黒先活」「黒先劫」「白先活」「白先劫」のいずれかになります。なお、劫以外で同一局面が再現する形になる場合は、その再現形の名称が結果になります。
 劫になったら結果が出たとするのは、詰碁が部分的な問題と捉えられているからです。江戸時代から昭和初期にかけては、劫になってもその後を打ち続ける問題もありました。その種の問題は、見かけはそうでなくても、全局問題という性格を持っていた訳です。
 現代では全局問題を「珍瓏」(ちんろう)と称し、詰碁とは別のジャンルとしています。詰碁の場合は囲まれた石の死活が問題になりますが、珍瓏の方は「この石が取れるか?」式の条件付の問題も作られています。あぶり出し曲詰の珍瓏の多くがそうした条件付問題です。
 昭和になって詰碁が珍瓏から独立したのは、詰碁の神様と言われた前田陳爾(のぶあき)先生や詰碁の王様と言われた橋本宇太郎先生が「簡明にして意外性の高い」詰碁を量産し、それらが詰碁のスタンダードになったからです。
 全局問題である珍瓏は往々にして既存の手筋を組み合わせたものになりがちで、それでは簡明とは言えない訳です。むしろ、古典の長編の珍瓏から主眼手のみを抽出することが多く試みられてきたのです。こういう歴史があるので、詰碁では原理図のような作品の方が高い評価を受ける場合もあります。

4.詰碁の表現力
 白黒の石を用いる詰碁は水墨画のようなものだと思っています。詰将棋の方は7種の駒、6種成駒、後手玉を用いる27色のパステル画のように感じています。詰将棋の方が表現力が高いのは当然です。私の場合は詰碁でできなかったことを詰将棋で試しているようなところもあります。駒が動くことだけでも凄い、というのが本音なのです。
 例えば、初形曲詰やあぶり出しは19路の盤を使う珍瓏の方では数多く作られていますが、詰碁だと制約が多くて作図困難です。自作に初形「い」などがありますが、他の作家の作例は殆どないようです。

 18図 「い」黒先
 19図 手順
石倉昇先生の九段昇段の祝賀詰です。自分の地を減らすような★が正解になります。詰将棋なら心理的妙手でしょうか。普通の詰碁と見ても水準作です。

5.愛好家の人口と詰碁作家
将棋を知っている人は囲碁を知っている人より多いのですが、道場や碁会所に通うとか棋書を集めるとかの「金をかける」レベルの愛好家になると人口は逆転します。そして、詰棋になると再び人口は逆転で、全詰連の会員が3千名に対し、詰碁を楽しむ会の会員は未だ百名あまりに過ぎません。

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 詰碁を作図する人となると囲碁のアマ・プロを併せても20名かそこらだと思います。アマの詰碁作家が少ないのは、詰碁マニアの数が少ないことに加えて、完全作か否かの検討が大変という事情があるからです。
 ちなみに詰碁では完全作を単に「詰碁」と称し不完全作は「失題」(失敗した問題)と称します。作意手順という言葉は詰碁ではあまり使われず単に「正解手順」と称する場合が殆どです。そもそも詰碁には「囲碁界の共有財産」という思想があって、作者の意図を云々するよりも、真実はこう、という方が重視されているからです。個人的には誤作意を正した人をその詰碁の真の作者とみなすべきと考えています。
 詰将棋でも、例えば実戦で対局者も解説者も見落とした即詰を発見したら、その人には新作として発表する権利を認めてもよいのではないかという気がします。

6.詰碁の検討
 詰碁の検討は、囲碁ゲームの性格から、詰将棋の場合よりも徹底した「シラミツブシ」の読みが要求されます。分かりやすい例として逆算が挙げられます。詰将棋の各局面で、王手の数が平均5つ、王手を外す手の数が平均5つあるものとします。2手の逆算なら、5×5の25通りを検討すればよい理屈です。詰碁の方では石が置ける空点は全てを調べる必要があります。今、空点が8個の詰碁があったとして、2手の逆算なら1手前は9つ2手前は10の着手が可能です。で、9×10の90通りの検討が必要になります。しかも、その2手を着手した後の局面は、元の詰碁と似ていても、詰碁でなくなっている場合が多いのです。ですから、逆算と言っても、正算のような全検が必要になる場合が多いのです。
 こういうシラミツブシの読みができるのは、プロかプロ級の腕の人に限られるので囲碁のアマには詰碁を作る人が数えるほどしかいないのです。

7.後手最強
 詰碁の正解手順は「後手最強」のものを示すことになっています。詰将棋の妙手説とも少しニュアンスが違い、解答者が出題者に「変化を全て読みきった」ことを示すもの、と書いておきたいと思います。原則的には後手最長ですが変同の場合には次に先手の妙手を必要とする手か、後手の応手それ自体が見落としやすいものを答える、というものです。後手最強には主観的な面があるので出題者と解答者の揉め事になる場合もあります。
 そもそも、詰碁の詰手数というのが定義困難なしろものなのです。詰将棋の詰みのような明確な終了基準がないようなものなので。もちろん詰手順をどこまで示すかの慣例はあるのですが、初級者に説明するのに苦労するものの一つです。

8.無駄手と手順前後
 詰将棋で無駄合を詰手順に含めないように、詰碁でも正解手順から省略する「無駄手」というものがあります。囲まれた方が逃げるぞと打ち囲んだ方が止める、といった、殆ど意味のない交換です。詰将棋だと迂回手順にあたるでしょう。
 また、特に古典の詰碁では手順前後は殆ど問題にされていません。少なくとも初手だけは1箇所に限定するというのも、誌上出題が始まった明治以降に慣例化してきたものと言えそうです。現代でも「何通り殺せますか?」といった出題が見られます。
 もっとも名作と呼ばれる古典には手順の非限定は殆どみられないので、答えが一通りのものが評価が高かったことは歴史的事実と言えるでしょう。

9.良い詰碁
 詰碁の神様こと前田陳爾先生がいくつか「詰碁の条件」を書かれています。それらは条件というより評価基準というべきものなのですが、現代の詰碁愛好家に広く受け入れられています。その一部を紹介します。

+ 妙にごてごてしたむずかしい詰碁よりも、簡素にしてしかも清涼の気があふ
+ れるようなあざやかな筋で決まるものが上乗の詰碁かと考えた。

 私もこの方向で詰碁を作ってきました。とは言え、目新しい筋の場合は解答者の従来の知識だけでは発見が難しいものになります。従って、易しいとは限りません。私の作風は「簡素にして難解」と言われている筈です。難しく作っているつもりはないのですが。

+ 詰碁創作の第一条件は、何と言っても古作の模倣、焼き直しであってはなら
+ ないことである。

 と書かれた訳ですが、現実には多作の前田陳爾先生には古典の類似作が結構あります。ご本人も苦笑しつつ認められていたことです。詰碁の筋は江戸時代までに開拓し尽くされてしまった感があるので、似ていても「味が違う」なら新作と認めてよいのではないかというのが現代の風潮です。この辺は詰パラの初級/中級コースもそうなりつつあるように思います。

+ 第二の条件は、考えようによってはこの方が先決問題かも知れないが、筋が
+ 目新しく且つ優秀でなければならないことである。

 これは当然とも言えますが、別の味方をすれば曲詰などの趣向について触れられていない訳で、純粋に部分的な手筋を問う問題を詰碁と考えられていたことと理解できます。
 但し、残された作品を見れば「あざやかな筋」というよりも「皮肉な筋」や「意外な筋」を得意にされていたのが前田陳爾先生です。
 それらの評価が高まって、現代では「詰碁の本質は意外性にあり」と、言われるようになっています。「意外性」というのは詰将棋でいう不利感+αという感じです。

+ 第三の条件はスタイルの問題である。

この文章の続きは囲碁用語が多いので意訳します。無駄駒や飾り駒はダメ、最簡配置の「引き締まったスタイル」が条件と主張されています。また、普段から10×10程度に収まらないようなのはダメ、とか、初形についてうるさい先生だったようです。なお、無駄手を防ぐ配置はむしろ好ましいというのが前田陳爾先生以降の慣例です。

 私は「手を出したくなる初形+意外な詰手順」を目指しています。詰碁でも詰将棋でも。また「簡単+ワサビ」を理想としているので主眼手は1作に1つで十分と考えています。
 詰パラの作品は少し「詰め込み過ぎ」の感もあります。この言葉は相馬康幸さんが書かれたものです。相馬康幸さんの理想は「ピュア」なのではないかと拝察しています。

10.歴史と新手
 囲碁の歴史は4000年と伝えられ紀元前500年頃の孔子先生の「論語」でも囲碁が話題に挙げられています。そのゲームの誕生の頃から詰碁の歴史も始まっていると考えられます。いきなり19路の盤でどう打つと考えるよりも部分的にどうなるかを調べて行ったと考える方が自然だからです。
 現在に伝わる最古の囲碁の書は1100年頃の「忘憂清楽集」(ぼうゆうせいらくしゅう)と言われてきましたが、550年頃の「敦煌石室の碁経」(とんこうせきしつのごきょう)というのが大英博物館に眠っていました。
 最古の詰碁集は1349年の「玄玄碁經」(げんげんごきょう)です。純粋の詰碁だけでも3百余題の名作が収められており現代でも最高の詰碁集と評価されています。1694年には1千5百題弱の終盤の問題を収めた「官子譜」(かんずふ)が纏められました。この辺りで既に、詰碁の筋は出尽くした感があります。当代の難解詰碁作家の鄭(てい)九段が「新手を見つけるのは20代で諦めた」と漏らされているくらいです。
 私は4つくらい新手を開拓できたと自負していますが、実は1000年以上前に知られていた手段という可能性を否定できません。それはさておき、玄玄碁經以降の歴史の中で意義が認められる筈、と自負している2作を紹介します。

20図 「後日物語」
21図 新手
従来は7種類しかないと信じられてきた中手に、一つ追加できました。「隅の板六」と称すべき新中手です。
この手は変化手順に隠れて、作意手順では「石の下」という筋で仕上がります。
「石の下」は石を取られた後の空点に打つ手筋です。これを用いると動かない筈の囲碁の石が動いたように見せることもできます。2、3そういう趣向作をものしています。

22図 「環」 (黒先活)

23図 新手
無勝負になる反復形の一つに「長生」と称するものがあります。その手筋を応用して「無限の劫立て」という新たな意味付けに成功しました。劫であるのに黒は4手打って取り返すことができ、白は他に手段(劫立て)するしかないので活きているという新形です。本作は自然で簡素な初形で手順も面白いので古典詰碁の研究家から「古今の最高傑作」という身に余る賛辞をいただいています。

 詰碁4000年にしてこういう新発見があるのですから、手筋が尽くされるということはなさそうな気がします。私は盤上に人智の及ばない深遠な世界を感じているのです。

11.終わりに
 急ぎ足で詰碁の紹介をしましたが、基本的な考え方は伝えることができたのではないかと思います。詰将棋の方も、詰碁がそうであったように、簡素な作品がより高く評価されるようになるのではないかという気がします。
 そして、詰将棋には詰碁とは比較にならない程の表現力があるのですから、きっと、誰も気付かなかった新手が限りなく眠っているのだと信じています。私はこれからも駒とたわむれながら詰棋の女神がほほえんでくれるのを待ちたいと思います。創作でも発見でもなく、出会いを。

 2002-07-11 塚本惠一

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